教員の長時間労働が深刻化する中、国会では教員の処遇改善を目指した「給特法」の改正が大詰めを迎えている。
改正案では、一律で支給される「教職調整額」を6年かけて月給4%から10%に増加させる一方、その代わりに労働基準法で定める時間外手当や休日勤務手当を支払わないという仕組みは継続される見通しだ。
この改正について、教育社会学を専門とする名古屋大学の内田良教授は「大いに疑問」と語る。(弁護士ドットコムニュース:玉村勇樹)
●「4%のまま50年以上」――給特法が作った“異常な働き方”
給特法(正式名称:公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)は1971年に制定された法律で、教員に時間外手当や休日出勤手当を支払わない代わりに、月給の4%を一律で支給する「教職調整額」を定めた。
制定の根拠は、1966年に国がおこなった勤務実態調査で「月8時間程度の残業」が確認されたことだった。しかし、そこから半世紀。教員の働き方は大きく変わった。
「自宅に持ち帰っている仕事も含めると、月100時間を超える残業が当たり前のように発生している。にもかかわらず支払われるのは50年前と変わらず月給の4%。これでは"定額働かせ放題"と揶揄されても仕方がありません」と内田教授は指摘する。
特に問題なのは、教職調整額が"残業代の代替"として扱われることで、教員の勤務時間を記録する動機すら奪われている点だという。 「時間管理がおこなわれないから、どれだけ仕事が増えても見えない。気づかないうちに残業が増えても、一定の給料のまま放置されている状態になっています」
●改正案の「10%への引き上げ」は解決策になるのか?
今回の改正案では、教職調整額を現在の4%から年1%ずつ、2031年までに10%へと段階的に引き上げる方針が示された。だが、内田教授はこの改正に対して「大いに疑問」と断じる。
「たしかに待遇改善という意味では良い面もあるかもしれません。しかし教員が本当に求めているのは、まず"仕事を減らすこと"です。給料が増えても、業務が減らなければ意味がありません。むしろ『その分頑張ってね』というメッセージにもなりかねません」
教職調整額を増やす財源があるならば、教員の業務を減らすために、設備投資や人員の追加に使うべきだと内田教授はうったえる。「ICT化が遅れた古い機器を使い続けている現場では、事務作業ひとつとっても無駄な時間が多い。そこに投資すべきです」
●「30時間残業制限」も効果に疑問
5月5日に読売新聞が報じたところによると、改正案が修正され、教員の平均残業時間を「月30時間以内に抑える」といった数値目標が明記される見通しだという。だが、これについても内田教授は懐疑的だ。
「そもそも給特法では、超勤4項目(①生徒の実習②学校行事③職員会議④非常災害など緊急時)以外では"残業"という概念自体が存在しません。そこに月30時間という枠を設けても意味がわからない」
民間企業や私立学校では、労働基準法に基づき労働時間の管理がなされ、残業には割増賃金を支払う必要がある。ところが公立校の教員は、給特法の枠組みによって、こうした当然の保護から外れてしまっているのが現状だ。
「残業時間を制限するというなら、罰則や法的義務のある労働基準法の中でやるべきです。なぜ公立校の教員だけが"特別な働き方"を強いられ続けるのか、合理的な説明がされていません」
●教員勤務実態調査がおこなわれないことへの「危機感」
内田教授は、労働時間の実態を把握するために文科省がおこなっている「教員勤務実態調査」が今後実施されない可能性があることにも強い懸念を示している。
「1966年の調査がきっかけで給特法が成立しましたが、その後、長年にわたって勤務実態が調べられることはありませんでした。その結果、気づかぬうちに残業が増え、定額働かせ放題が常態化してしまった。だからこそ、調査をやめるというのは最も危険な選択です」
2006年、16年、22年にそれぞれおこなわれた教員勤務実態調査は、持ち帰り時間なども含めた詳細なデータを集めることで、実態をつぶさに把握できる反面、回答する教員への負担が大きいという側面もある。
「前回との比較ができるので基本は変えないのが一番いいです。先生の負担を気にして変えるのならば、絶対に継続的にやること。負担の少ない調査を毎年やって変化を見ないと意味のない調査になってしまいます」
調査がおこなわれなければ、現状が把握できないだけでなく、働き方改革の進捗も測れないため、実効性のある対策も講じられない。内田教授は「リスクを見える化しなければ、社会は動かない」と強調する。
●「教員不足」はすでに実害を生んでいる
高知県では2025年度の小学校教員採用試験で合格者の7割以上が辞退するなど、深刻さを増す教員の成り手不足。給特法の存在と無関係ではないと内田教授は考える。
「国や自治体が教員の志願者を集めようとすると決まって『教職の魅力』を前面に出します。やりがいや魅力は教員志望者はすでにわかっている。だけど労働環境が過酷だから諦めてしまうんです。まずは労働環境という"リスク"を減らすべきなのです」 教員の働き方をめぐる問題は、もはや教員個人だけの問題ではない。
「教員の長時間労働は、すでに子どもたちの学びに実害を及ぼしています。教師不足によって授業が成立しない学校も出てきている。これは社会全体の問題なんです」
●「特殊だから」という言い訳をやめ、教員の善意に頼らない制度設計を
「意味のわからない法律」ーー。
給特法の存在意義について内田教授はこのように位置付けたうえで次のように語る。
「給特法が存在する理由は、常に『教員の働き方は特殊だから』という一点張りです。でも、それなら医師も、トラック運転手も、すべての職種が特殊です。
これらの職種も労基法のもとで働き方が整備されています。 なぜ公立校の教員だけが特殊な働き方だからと特殊な法律が設けられ、『定額働かせ放題』になっているのか。一刻も早く変えてほしいです」
給特法の改正が単なる「給与の増額」にとどまる限り、教員の働き方は変わらない。必要なのは、教員の「善意」に頼らない制度設計と、社会全体がこの問題を「自分事」として考える意識の転換だろう。